球磨・人吉・芦北の歴史
人吉・球磨(相良藩)の歴史
相良藩 約700年の伝統の中で、人吉・球磨地方には数多くの歴史・文化遺産が残っています。
相良氏とは・・・
鎌倉幕府の源頼朝の命を受け、遠江国相良庄(静岡県牧ノ原市相良)からこの人吉庄にやってきて地頭になりました。
室町時代には、薩摩や日向に兵をさしむけて領地を拡大。一時は球磨・八代・芦北の三郡を支配するが、豊臣秀吉の九州征伐に破れて、球磨郡のみの支配となりました。
それから当時の山城を自然の地形を防御に活かした石垣造りの城へと修築しました。
関ヶ原の戦いでは、豊臣方から徳川方に転じ、以降廃藩置県(明治4年)まで、この球磨郡の領主を努めました。
芦北町・津奈木町の歴史
芦北地域では、旧石器時代をはじめ、縄文・弥生・古墳時代の遺跡も数多く発見されており、古くから人々が暮らしていた事が確認されています。
初めて芦北地域の地名が、歴史上に表れるのは、西暦583年とのことです。
戦国時代、相良氏、島津氏の攻防で「水俣城の戦い」、佐敷城「梅北の乱」などの戦場となりました。近代でも、明治10年の西南戦争では、管内のあちこちが政府軍と薩軍の戦いの場となりました。
明治22年、市町村制の実施に伴い、大野村・吉尾村・佐敷村・湯浦村(芦北町)、田浦村(芦北町)、津奈木村(津奈木町)が誕生しました。その後、いく度かの合併を経て、現在の津奈木町、芦北町の2町の姿になりました。
(芦北地域振興局ホームページより引用)
