丸目蔵人佐の墓 【錦町】

丸目蔵人佐の墓

基本情報

剣豪 東の柳生、西の丸目!!

【丸目蔵人佐長恵(まるめくらんどのすけながよし)】
【タイ捨流創始・相良藩剣術指南役】

天文9年(1540)~寛永6年(1629) 肥後八代郡人吉に生を受け、幼い頃から剣の修行に励み、16歳の時、大畑合戦で初陣を飾りました。

翌年、天草の本渡城に身を寄せ、天草伊豆守から中条流を学びました。
19歳になると、当時最強と謳われた兵法者、上泉伊勢守(新陰流始祖:竹刀の原型を発明し、技術水準に応じた段階的な修行方法を構築するなど、今日の剣道の基礎を築いたとされる)に挑むために上京。
しかし、あえなく敗退しそのまま新陰流に入門しました。

5年で極意の免許皆伝を受け、上泉伊勢守と共に将軍足利義輝の前で上覧試合を行い 天下一を許されました。

蔵人佐と同じ伊勢守の門弟には 柳生石舟斎がいます。
後年石舟斎は柳生新陰流を、蔵人佐は丸目新陰流を名乗り、東の柳生、西の丸目と東西の日本一と呼ばれました。

その後、28歳で上泉から印可状を受け、3度目の上京の後、タイ捨流を興した。「タイ」とは、大、太、体、待などの意味を持ち、これを捨てた「自在の構え」を旨とすると言われています。

その後「丸目蔵人佐」は、一武村(現錦町)に移り住み、水田を開き、畑を耕すなど農業の指導者として活躍し、1629年に90歳の生涯を終えました。

丸目蔵人佐の墓は、平成元年2月10日町文化財に指定されました。

詳しく知りたい方は、書籍もありますのでぜひご覧ください。 →新説剣豪丸目蔵人佐

【参考】

  • 丸目蔵人佐 1540年~1629年没
  • 宮本武蔵  1584年~1645年没
  • 柳生石舟斎 1527年~1606年没

丸目蔵人佐の墓 丸目蔵人佐の墓 丸目蔵人佐の墓


利用案内

  • 無料


アクセス

  • 熊本県球磨郡錦町切原野堂山 地図


周辺スポット

  • 桑原家住宅
  • 錦・くらんど公園(道の駅・錦)
    入口に「剣豪・丸目蔵人佐」の銅像(高さ1.8m)があります。


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  • 錦町役場 0966-38-4419